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 「大岸坦弥・とよの夫妻所蔵写真」 93
お宝発見

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 「賀川豊彦献身100年記念事業」の取り組みは、一昨日(12月22日)神戸ポートピアホテルでの記念式典とレセプションをもって大きな節目をつくり、さらなる100年に向けて新しい一歩を踏み出したことは、伴武澄氏によって、本日のこのサイトにおける写真と文章をもって公開された通りである。

 そして本サイトでの「お宝発見」の連載も、愈々次回を最終回として、一先ず一区切りとすることにしたい思う。

 「武内氏所蔵資料」の公開を呼び水として芋ずる式に、同時代を歩まれた方々の「お宝」までも、次々と目にさせて頂く幸運に恵まれる事になったのであるが、最後ここでご紹介するのは、兵庫県三木市に昭和47年開園の「一粒園保育所」の大岸坦弥(ひろや)・とよのご夫妻所蔵のアルバムからのものである。

 先に取り上げた河野洋子先生のお口添えもあって、本年(2009年)9月17日午後、大岸ご夫妻がわざわざ拙宅まで足をお運びいただき、初対面の私たちに、親しくお話を聴かせていただく機会を得た。

 ご主人は同園理事長、奥様は3年前現役を退任されたそうであるが、保育分野の開拓者らしく、保育に注ぐ情熱は驚くばかりで、80歳を越えられたいまも現役そのままである。素敵なお似合いの御夫婦であった。

 我家へお越しいただいた折、大切に保存されているふたつのアルバムを持参してくださり、拝見させて頂いた。写真撮影ということもまだ当時は一般的ではなかった時代ではなかったと思われるが、坦弥さんは当時からカメラをお持ちで、写真撮影はお得意であったようである。多くの写真を写され、とよのさんはそれらをアルバムに収め、撮影場所や年月日なども書き添えられていた。

 これまで武内さんや河野さんの写真では確定できなかったものが、このアルバムで新しく判明したものも多く、最近刊行された劇画「死線を越えて」や「賀川豊彦とボランティア」などにも、このアルバムによって正確を期すことが出来た。

 前回92回目の「写真1」も、今回拝見できたアルバムには「昭和27年2月25日 梅子女史渡米送別会 天隣館にて」と記されている。写真の剥がれている部分も、丁度そこが鮮明であり、相互に補う会うことができた。

 早速、ふたつのアルバムの中から、年代順に17枚をご覧頂こう。


 写真1

 「昭和24年2月 新会堂にて 第1回礼拝後」 とよの先生は中列右から4人目。武内夫妻・斉木さん・緒方さん・梅子さんのお顔も。


 写真2

 「昭和24年3月25日 第3回卒業生」 前回までに紹介した「天隣館」での神戸市立長田保育所の初期の写真は重複するので割愛し「第3回卒業生」からお目にかける。とよの先生は大人の前列右から二人目。


 写真3

 「昭和24年5月 賀川社会事業集会」 とよの先生ほか賀川・武内夫妻・吉田・三浦・金田ほか、お歴々のお顔がみえる。初見の写真である。場所は一麦寮?


 写真4

 「昭和24年12月18日 賀川先生渡英送別会」 この4日後、賀川は羽田を出発し、翌年12月28日帰国するまで、丸1年に及ぶ世界伝道旅行を行う。英国全土、さらに欧州から米国に及ぶ大旅行であった。そしてこの4年後にも、エバンストンで開催の世界基督教会議に招待され、4ヶ月の旅を試みた。


 写真5

 「昭和25年3月 第4回卒業生」 神戸市立長田保育所(長田区四番町のイエス団「天隣館」前)


 写真6


 「昭和25年10月 宝塚遠足 3人で」 写真右から、とよの先生・斉木ミツル先生・河野洋子先生。


 写真7

 「昭和26年3月 重彦ちゃん花咲爺」 斉木先生のオルガンに合わせて、とよの先生も大きな声で! 


 写真8

 「昭和26年3月 第5回卒業生」 3人の先生の他に、辻本四郎牧師と友愛幼児園の宮川先生も。


 写真9

 「昭和26年クリスマス 人形芝居誕生 第1回公演」 友愛幼児園へも出かけて公演している。


 写真10

 「昭和27年3月24日 第6回修了式」


 写真11

 「昭和27年8月9日〜11日 再度山・大竜寺にて 卒業生第1回キャンプ 2泊3日」 これ以後、幾たびもこの場所でキャンプを行う。寺の御住職夫妻が良き理解者であったとか。


 写真12

 「昭和27年8月9日〜11日 再度山・大竜寺にて 卒業生キャンプ 2泊3日 修ヶ原」


 写真13

 「昭和27年12月23日 長田日曜学校クリスマス」 斉木夫妻・武内夫妻・辻本牧師・白倉牧師のお顔も。ここは「天隣館」の2階であろうか。


 写真14

 「昭和28年3月21日〜22日 連休を利用して湯村温泉へグループの人たちと、これが最初で最後の旅行だったことは又感慨深い思い出」


 写真15

 写真説明はないが、大竜寺での何回目かのキャンプの時か?


 写真16

 写真説明はないが、「天隣館」の2階であろうか。白倉牧師を真ん中に斉木夫妻などと。


 写真17

 写真説明はないが、これは「天隣館」の1階のようである。斉木夫妻と白倉牧師などとともに。 
                


 大岸ご夫妻は、昭和33(1958)年に結婚されたようにお聞きしたので、この写真に登場するお二人は、結婚の前である。したがって、「とよの先生」は「中野とよの先生」である。

 ご主人の大岸坦弥さんは戦中、武者小路実篤の「新しき村」や小川正子の「小島の春」などに心惹かれる青年期を経て、戦後を迎えてから兵庫県の建築のお仕事に就かれていた頃、仕事上で武内勝氏と出会い、イエス団との関係が始まり、辻本四郎牧師から洗礼をうけられた、というお話をお聴きした。
一方、中野とよのさんは、河野洋子さんと同じく羽仁もとこの自由学園で学ばれ、戦時下、斉木・武内・緒方・辻本といったイエス団メンバーの立会いで、賀川先生から洗礼を受けられ、「あなたは今日から神様の子どもになるんだよ、神は愛なりだよ」と言われたことを、いまでもはっきり覚えているとも語っておられた。空襲で焼けてしまう前の神戸イエス団教会での洗礼で、その日教会から帰る途中、空襲警報が出ていたとも言われていた。

 そうして戦後「天隣館」で始められた神戸市立長田保育所の保母となり、週日は毎日そこで働きながら、日曜日は早朝から葺合新川に出向き日曜学校と礼拝を済ませ、午後「天隣館」に来て3時からの日曜学校を行い、夜も夕拝を行うといった青春時代であったとか。
ご夫妻ともども「楽しかったあの時代に、もういちど戻りたい」などと、当時の御二人の青春の日々を物語っていただいた。

 前回の河野先生のご自宅でも見せていただいたが、当時のお仲間たちは、その後も途切れることなく、年に一度正月休みに集まって、交流を重ねておられる。長く斉木先生のご自宅に集まられたが、現在は三木市の大岸さんのお宅に参集しておられるようである。
この度、記念式典参加のため米国から帰国された籾井梅子先生は、関西学院の学生だったころ「天隣館」に群れていた若者のお仲間の一人であったらしく、先日(12月17日)の神戸文学館での企画展「賀川豊彦と文学」にお見えの後、久し振りに皆さんお集まりになって懇親の時を待たれたそうである。
青春時代の愉快な仲間たちが、半世紀以上も続けて友情を深めておられる事実は、それだけでまた心打つものがある。

 完成した新しい賀川記念館に「賀川ミュージアム」が開設されるのは年明け(2010年)4月であるが、これまで紹介できた多くの新しい資料や写真は勿論の事、現在益々お元気でご活躍中の、この大岸さんご夫妻はじめ、皆様のナマのお話を、「賀川ミュージアム」において、ご一緒に親しくお聴きできる場も実現できる筈である。

(2009年12月24日記す。鳥飼慶陽)



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