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 「武内祐一所蔵アルバムB」から(7) 83
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 「アルバムB」から今回は5枚の写真を紹介する。
 「一麦(いちばく)保育園」が、賀川豊彦を園長に、そして吉田源治郎を主事として開園されたのは、昭和7年4月のことである。武内一家が「一麦寮」で生活していたのは、戦前から戦後間もなくの間であるが、武内の長男・美邦、長女・久仁子、次女・千恵子、次男・祐一、とみなこの一麦保育園で学んだ。母親の武内雪は、埴生操らと共に保育園の先生を務めた。


写真1
 
 一麦保育園卒園式のあと。左端は埴生操先生、後列右大人3人目は吉田源治郎先生。梅村先生のメモには「年代は不明、久仁子ちゃんの卒園式であれば昭和15年3月です」とある。


 写真2

 隣の神社の境内で、左端の美邦ちゃんがおどけている。後列右は埴生操先生。


写真3

 昭和16年ごろの卒園式。先生は左から埴生、吉田、久保田、武内。


写真4

 昭和21〜22年ごろの入園式のあと? 後列左から、吉田、埴生、武内


写真5

 昭和21年3月の卒園式。後列左から3人の先生:埴生、武内、荻原? 3列目の右から、5人目空谷君、6人目祐一君、8人目大池君、前列右から4人目大野君(梅村先生のメモによる)

                (2009年12月3日記す。鳥飼慶陽)



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