記念事業概要 スケジュール ニュースレター 神戸プロジェクト 実行委員会 新聞切り抜き 寄付のお願い
賀川豊彦とは 賀川の仲間たち 賀川の時代史 賀川の著作 関連ブログ 問い合わせ
懸賞論文
 「武内祐一所蔵アルバムB」から(4) 80
お宝発見

賀川先生の献身の証し
貧民窟主題の小説書きたい
一粒の麦は生きている


  「Think Kagawa!」
  「賀川豊彦って誰?」
  「賀川資料館の雑芸員日誌」

  
前回末尾で、昭和6年夏開催の「神戸イエス団第四回林間学校報告」が「雲の柱」同年10月号にあるので、それを取り上げることを予告していたので、今回はまず最初に、その頁に収めたれている写真を拡大して「写真1」として紹介する。


写真1

明石海岸遠足



 さてここから再び「アルバムB」の続きを取り出していきたい。 
 今回の写真は、1931(昭和6)年「西宮市高木字南芝781(現在の高木東町11)に「農民福音学校寮(通称「一麦寮」)」が出来て以後のものである。
1998(平成10)年発行の『日本基督教団西宮一麦教会:五十年の歩み』に収められた「年表」には、「教会前史」として次のような記述がある(180〜181頁)。年表のこの部分は、梅村貞造氏の執筆による。

 1926(大正15・昭和1)
 賀川豊彦先生が東京の松沢から家族と共に兵庫県武庫郡瓦木村高木東ノ口(現在の西宮市高木東町5.教会より南東約150米)に移られた。

 1927(昭和2)
 賀川先生宅で第1回日本農民福音学校開校(校主・賀川豊彦、校長・杉山元治郎、教務主任・吉田源治郎、主事・金田弘義、その他講師十数名)。毎年同時期に一ヶ月開校、15年間続けられた。一麦寮(後述)が建てられるまでは定員12名の小塾であったが、その中から百数十名の信徒指導者を全国の農村社会に送り出した。

 1931(昭和6)2月5日
 賀川先生の小説『一粒の麦』が講談社から出版され、ベストセラーとなる。その印税にて、その秋頃、西宮市高木字南芝781(現在の高木東町11)に300坪の敷地を購入し、二階建ての農民福音学校(通称「一麦寮」)が建てられた。

 1932(昭和7)1月2日〜4日
  新築の一麦寮を会場に、初めてのイエスの友関西冬期福音学校(第5回)が開かれた。以来、昭和8年から16年まで毎年開かれた。
 同年2月11日
  一麦寮で初めての日本農民福音学校(第6回)が開催された。
 同年3月
  一麦寮の東隣に託児施設としてのヤヘ・シバ館が建てられた。
 同年4月
  賀川先生により一麦保育園(園長・賀川豊彦、主事・吉田源治郎)が創立された。また、関西学院神学部の学生や有志の人々の応援を得て断続的に日曜学校も開かれるようになった。

 1941(昭和16)1月2日
 イエスの友冬期関西福音生活学校が開催される(講師・賀川豊彦、山本一清、H・W・マヤス博士、杉山元治郎ほか)百数十名が参加。
  


 上記の梅村先生の記述を参考にして、以下の写真を眺めてみたい。撮影の年など不明であるが、ここでは「アルバムB」に貼られている順番に並べておく。


 写真2

 一麦寮の前にて。イエスの友関西冬期福音学校?


 写真3

 現在もある隣の神社の境内にて。イエスの友関西冬期福音学校。


 写真4

 一麦寮にて。イエスの友関西冬期福音学校。(昭和12〜13年ごろ?)


写真5

 一麦寮にて。日本農民福音学校。2列目右3人目は杉山元治郎、左端は金田弘義、前列右から2人目は埴生操、3人目は武内雪。


 写真6
 
 一麦寮・一麦保育園。


 
 杉山元治郎の研究でも知られる東北学院大学の岩本由輝先生が、去る10月16日、一麦保育園を訪問された。その機会に併せて、同園顧問の梅村貞造先生のお誘いがあり、はじめて一麦保育園に出かけた。
阪急「西宮北口」駅から歩きながら、最初の「瓦木村」と現在の「高木」の場所の違いなど、丁寧に案内をしていただいた。そして西宮一麦教会や隣の神社の境内にも案内して貰い、貴重なお話を伺った。美味しいご馳走にまでなってしまった。  (2009年11月29日記す。鳥飼慶陽)



賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会
東京プロジェクト 事務局  〒156-0057 東京都世田谷区上北沢3-8-19 賀川豊彦記念 松沢資料館内
神戸プロジェクト 事務局  〒651-0022 神戸市中央区元町通5-1-6 神戸共栄火災ビル7F