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 「武内祐一所蔵アルバムA」から(3) 76
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 「武内祐一所蔵アルバムA」の3回目は、武内夫妻の長男・美邦(よしくに)君と瓦木小学校時代のクラスメイト梅村貞造君(現一麦保育園顧問)のもの、そして宇都宮数一氏一家が昭和3年、ブラジル移民として神戸港から旅立つときの涙の別れの写真である。
 美邦君のことは、本サイト第44回「小さき人生の完成者」(武内勝から賀川ハル宛書簡(「雲の柱」掲載分)で少し触れた。美邦君は昭和3年11月7日生を受け満10歳と6ヶ月のいのちを生きた。梅村先生の玉稿「一麦と私―武内美邦君のこと」(2008年4月8日)のあることも本サイト第53回で触れておいた。
 このアルバムを、過日梅村先生にお渡ししてお目通し頂いた。すると丁寧なコメントを書き込んで貰う事が出来た。ここではそれも加えて紹介する。すでに掲載済みのものもあるが、以下5枚の写真である。


 写真1

 暖かそうな帽子の美邦ちゃんと母・雪さんのところに、朝日であろうか夕日であろうか差し込んで白くなっている。美邦ちゃんは11月生まれだが、この時すでにしっかりと首が座っている。どこかの旅先であろうか、両親は晴れ姿である。


 写真2

 梅村先生によれば、「武内一家が一麦へ来られたのは昭和9年3月で、美邦君が5歳を越えた頃である。昭和10年3月に一麦保育園を卒園し、瓦木小学校へ入学した。従ってこの写真は、一麦ではないように思う」と。


 写真3

 本サイト第50回目「武内勝日記A」(4)に昭和3年4月21日の日記がある。それには「午後宇都宮を突堤に見送った。今日のたぷらす丸には、九百余名の移民を乗せている。これだけの人達が、百年後には何万人に増加するか知れない。人の増加も恐ろしいものだ。宇都宮兄も房子姉も子供等も泣いていた。見送りの者も泣かされた。特に房子姉と道世とは泣き通していた。見送りの人達には、義男兄に敏子ちゃんに牧野御夫婦に本多、中山、高比良、堀井、杉山、佐藤姉、広木、小山氏等であった。夜、我が家に帰って夕食を共にした。宇都宮の為に涙ながらに祈った。」とある。この写真は、その時の涙一杯のお別れの神戸港での写真である。右から2人目は雪の母、3人目が宇都宮数一、中央ネクタイの子が宇都宮使徒、左側2人目は武内雪。


 写真4

 梅村先生のコメント「後ろの建物は美邦君の通っていた瓦木小学校の講堂です。残念ながら美邦君の姿が分かりにくいのですが、前列中央の先生(永田先生)の左の少年ではないかと思います。これは3年生のクラスで、最後列左から3人目は梅村です」


 写真5

 梅村先生のコメント「これは間違いなく瓦木小学校の4年生の時のクラス写真です。美邦君と梅村は同じクラスで共に写真に写っています。担任は師範学校卒業したての奥道正先生。3列目左が奥道先生、2列目右から6人目が美邦君、梅村は3列目先生の右6人目。昭和14年3月ごろ。」

               (2009年11月20日記す。鳥飼慶陽)



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