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懸賞論文
 神戸イエス団月報 第一号 昭和五年九月
お宝発見

賀川先生の献身の証し
貧民窟主題の小説書きたい
一粒の麦は生きている


  「Think Kagawa!」
  「賀川豊彦って誰?」
  「賀川資料館の雑芸員日誌」

 これまで2回にわたり神戸イエス団の「お宝」ともいえる「佐藤一郎・きよ夫妻」のことを取り上げた。それらはご長女・真部マリ子先生からお受けした貴重な写真や史料をもとにしたが、もうひとつ今回はそのとき頂いた、私にとっては初見の史料を紹介させていただく。

 それは、佐藤一郎氏の療養中の昭和5年9月、ガリ版印刷で発行された「神戸イエス団月報」第1号(1枚もの)と、そして「昭和5年6月1日現在」と書かれている「イエス団教会会員名簿」(これも1枚)である。

 まず「神戸イエス団月報」第1号の「発刊の辞に代えて」を書き写してみよう。





 「明治四十二年、賀川先生が奮然と意を決して貧民街の救霊及び部落改善の目的を以て其の事業に従さ
れて、廿一年目を数ふるに至ったのである。
 最初木賃宿の一室を借り受け、ここにクリスマスの喜びと共に福音の種は播かれたのである。其の後北本町六丁目二二〇救霊団(イエス団)が組織され、教会の形態が出来たのである。
 賀川先生米国留学中は、相集る青年が心を一つにして共同生活をなし、救霊団を守ったのである。吾妻通五丁目三の地に一家を借り主たる事務所となし、教会を二階に引移し、困窮者救済の一助としてイエス団友愛救済所を設立し無料施療を行ふに至った。
 無就学児童のため夜学校を開いた事もあり、又日曜学校の発展に伴ひ児童館の必要を感じ、日暮通六丁目ブラシ工場跡を手入れして日曜学校・教会・青年寄宿所となした。
 昭和四年十二月、阪神新国道新設のため、事務所は一時児童館の方に移転したが、間もなく新国道に面した吾妻通五丁目五に新建築が出来たので、早速これを借り受け、昭和五年六月、凡ての設備をととのへ、教会・日曜学校・友愛救済所セツルメント事業として活躍するに至った。
 今回与えられたる場所が不思議にも神の導きと云ふべきか、賀川先生が最初に福音の種を播かれた所でると云ふ事は、非常に有意義であると思ふ。
 「懼るるな小さき群よ、汝等に御国を賜ふことは、汝等の父の御意なり」の主の御言葉を信じ、大いに奮闘努力せられん事を。」

 賀川がここで新しい生活をはじめ、ともに歩みを重ねて満20年、その節目を越えて、杉山たちは「父の御心」を新たに受け取りなおし、新に歩み出そうとする熱い祈りを刻んだ、この「発刊の辞」を記したのは「K・S・生」杉山健一郎である。
 この種の資料では、現在発見されている「救霊団年報」第二号(明治44年12月3日に「神戸市葺合区北本町六丁目二百二十番屋敷」賀川豊彦発行の4頁活版印刷)と「神戸イエス団年報」(昭和4年2月25日に「神戸市葺合吾妻通五ノ三」神戸イエス団発行、これも4頁活版印刷)がある事が知られており、後者の「編集兼発行人」は杉山健一郎である(この2史料は『賀川豊彦初期史料集』の巻末「参考史料」に収められている)。

 この「神戸イエス団月報」が発行された昭和5年の前、昭和2年8月から昭和4年6月までのことは、この連載第47回から第54回まで「武内勝日記A」として日記の全文を紹介済みであるので、其の当時の時代とイエス団の働きの一端については、いくらか知る事が出来た。そしてそれと重なる昭和4年の「神戸イエス団年報」とこの昭和5年の「月報」で、さらにこの時点のことを想起する素材のひとつが得られたことになる。

 またこれと関連して、今回の「武内勝所蔵史料」の中に残されていた当時の『雲の柱』があったので、少し付加しておく。
 表紙に「賀川豊彦個人雑誌」とある『雲の柱』昭和4年1月号(第8巻第1号)は、「発行所・神戸市葺合吾妻通五丁目三番地」「編集兼発行人・杉山健一郎」である。その「編輯室より」をみると「『雲の柱』は昨年はその姿を稀にしか現わさなかった」とある事から、月刊誌の体をなしていなかったようで、この「1月号」の表紙には「更生新春号」とされている。そして次の2月号からは表紙が一新されている。
 (因みに『雲の柱』の編集兼発行人は、昭和7年2月から「武内勝」に、昭和8年8月から「金田弘義」に、そして昭和10年から「賀川ハル」に、それぞれ発行の住所と共に変わっていく。)

 ところで「月報」の「発刊の辞」を執筆した「杉山健一郎」という方であるが、横山春一『賀川豊彦伝』第9章「百万人救霊運動」の冒頭には、「賀川の世界一周の旅の間、神戸イエス団は、武内勝が中心となり、伝道に主力を注いでいた。それを本多健太郎、杉山健一郎、堀井順次、牧野仲造、佐藤一郎などが助けた」(246頁)とある。
 横山によれば、杉山は其の後、一時東京に出て学びを継続し、奥丹後地震の時にも救援活動に加わり、「昭和2年の暮れになると、東京で賀川の仕事に協力していた杉山健一郎が、神戸の貧民窟伝道に献身することになって、神戸イエス団に住み込んだ。これで再び、イエス団は活気をもりかえし、武内勝、本多健太郎などが路傍にたって伝道をはじめた」(272頁)と書かれている。

 賀川の最晩年、病床にあるときに、武藤富男らが「みんなで賀川伝を書こう」と関係者に呼びかけて原稿を集め、賀川に謹呈しようと企画したが、出版にこぎ着けるのに時間がかかり、惜しくも賀川没後に刊行された『百三人の賀川伝』(昭和35年8月、キリスト新聞社)がある。
杉山健一郎は、1983(昭和58)年に86歳でその生涯を終えているが、この「百三人」のひとりとして「賀川とともに半世紀」と題する8頁(26頁〜33頁)に及ぶ一文を寄稿している。杉山が64歳の時のものである。

 どの方の証言も貴重な証言で、特に賀川の身近に歩んだ人々の賀川観察は、味のあるものである。杉山の賀川観察は興味深いが、ここでは杉山自身のことを一部抜きだして置きたい。

 「私が初めて賀川先生に紹介されたのは、大正6年初夏・・先生に対する敬慕の念を高め、先生のもとに行って弟子になりたいとの念をおさえることができなかった。・・大正7年2月はるばる神戸に出た。・・神戸YMCAで働くことになった。イエス団本部は吾妻通り5の3にあり、二階建ての粗末な建物である。・・階下の土間は日曜学校や無料診療所の待合室であり、その奥の板張りの二室が診療所であり、薬局であった。医師として馬島|氏が奉仕していた。・・集会には武内勝夫妻、賀川夫人、細民街の猫のおばさんや、稲荷下しのおばさん、下駄屋の橋本さん、その他の労働者が出席し、関西学院の学生、街からの技師や会社員もまじっていつも3,40人が出席した。・・大正12年春、賀川先生に推薦されて関西学院神学部別科に入学し願書を提出。・・その夏御殿場東山荘で開かれた第1回のイエスの友の修養会に出席・・大正15年3月私は関西学院を卒業、上京して・・奥丹後の救援、・・三陸の大津波にも・・その後神戸イエス団の留守師団長として賀川先生の事業を継承することとなった。その時、賀川先生は「僕と一緒に仕事をやって死のうじゃ」と言って下さったので一層感激したのであった。昭和5年の頃の事である。・・林間学校・・明石遠足・・古着市・・昭和12年10月、私は賀川の命を受け、上京武蔵野伝道・・大阪毎日新聞社社会事業部・・上京して白十字結核事業・・救癩事業に邁進・・何時も人間の価値は人間の側からだけでなく、神様の側に立って検討しなければならない・・賀川先生は何時も聖書に立脚して物事を神の側から判断していた・・」

 さて、今回取り上げた「神戸イエス団月報」には、上記「発刊の辞」の他に、同年6月から8月の会計収支がまとめられ、その後に「教会会計交代」という、短い杉山の記述がある。

 「昭和5年6月まで業務多忙中にもかかわらず、教会のために武内勝氏が専心に事務をお取り下されて会員一同は誠に感謝に堪えません。厚く御礼申上げます。7月以降不肖杉山健一郎が事務をとる事になりましたので、今後はどうぞよろしく旧倍の御同情を以て御援助下さいます様に御願い申上げます」
そして更に杉山は、「今後は毎月第一日曜に月報と共に会計報告をお送りしたい」旨書いているので、「月報」は継続して発行されたものと思われる。

 今回、もうひとつの「イエス団教会会員名簿」にも触れるつもりであったが、次回に回すことにする。(2009年11月13日記す。鳥飼慶陽)


「付記」 先にあげた昭和4年1月の『雲の柱』更生新春号の裏表紙には、「日曜世界社」の広告で、1月末日発売の「賀川豊彦氏新著『献身へのすゝめ』の案内がある。賀川にこんな著作はあったかな?と疑問を持ちつつ、一寸その「案内文」が面白いので書き写しておく。
 「編を分かつこと四つ――聖浄憧憬編、悪戦苦闘編、弱きものの誇編、勝利編。それは神にある魂の涙ににじむ精進の消息だ。神の国を基礎とした社会正義と十字架運動への熱烈なる献身のアッピールだ。男子その一生を何に向って献身すべきか? 目覚めし女性は何に向って、その生涯を没頭すべきか? 本書は人生の岐路に立つ魂にとって行くべき進路を指示するであろう。」
 広告の『献身へのすゝめ』は『聖浄と歓喜』という書名にして、同年3月に271頁の普及版として刊行され、昭和17年には本書を『聖浄と歓喜』『復活の福音』と二分冊にして、広く読まれ続けた。



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