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 前回は賀川の「島根県伝道」に関係する葉書を紹介した。高齢を押して連夜の夜行列車、しかもその間に武内とのいつもの相談事を済ませ、いそいそと「伝道旅行」に出向いてゆく賀川豊彦の生活ぶりの一端を、あの文面から感得してみたりしてみた。
 今回の書簡はほぼそれと同時期のものであるが、彼はこの時、越後方面の伝道の旅に出向いていたのであろうか、封筒の裏には「新潟県小出町より」と記されている。「26.11.21」と消印のある「速達便」で、封筒の表には「至急親展」と記されている。文面に書かれている「1951年11月1日」の日付は、恐らく賀川の書き間違いであろう。
 宛先は「神戸市葺合区吾妻通5丁目 神戸イエス団 武内勝様」。珍しく市販の原稿用紙1枚に記されている。
 書簡の内容は、「大阪四貫島教会復活運動」と名付けられた特別集会の予告と武内への準備依頼である。過日、小川佐和子さんから頂いた『四貫島セツルメント創立80周年』の「年表」には、この年5月「再建の勇者小川三郎牧師が、一切を辞任して四貫島を去られた」(18頁)とある。そして小川秀一著『恩寵七十年』には「小川先生が去られるとイエス団常務理事の武内勝氏が全体の業務を引き継ぎ、活動を続けた」(190頁)と記されている。



 本文は、以下のとおり。
 
 武内勝兄
 新潟県小出
 賀川豊彦
 敬 来る十二月一日より四日間、毎夜 大阪四貫島にて、同教会復活運動をいたします。就いてはイエスの友総動員にて 応援なり、祈祷会を開いていただきたく 伏してお願い申上げます。十二月五日、六日、は神戸にて、七日は姫路にて、更に、八日、九日は神戸大阪に帰り、九日の日曜日は朝イエス団、夕、また大阪四貫島にて集会を催す予定です。
 何卒よろしくお願い申上げます。
 牛乳会社のことを心配していますが、いかがですか? また、その後の「頼母子講」を心配いたしております。1月が山だと聞いていますが、いかがですか? このことにつきご調査の上ご報告を願いあげます。
主にありて 
一九五一・十一・一              トヨヒコ 
 広告の点よろしくお願いたします。
 ビラ張りをも 神戸イエス団の有志、生野聖浄会館の同志に依頼して下さい。費用は出します。



 今回の12月1日から9日間にわたる大阪・神戸・姫路にまたがる賀川の働きも、連日連夜の強行軍である。そして関係者によるこの「四貫島教会復活運動」がみのり、翌年(1952年)2月には、戦後賀川の依頼を受けて徳島で開拓伝道を続けてきた小川秀一牧師が、この時再び「賀川先生に依頼され、大阪四貫島教会とセツルメント(天使保育園を含む)事業を引き受け」(前掲『80周年』47頁)、1985(昭和60)年10月20日83歳の生涯を閉じるまで33年間を、四貫島で活躍した。
 なおこの書簡の後半には、賀川が心配して武内に報告を求めている「牛乳会社」と、もうひとつの心配事――この時「1月が山だと聞いている」「頼母子講」――に関しては、いまコメントを付す材料を持たない。ご存知の方のご教示をお待ちしている。(2009年11月2日記す。鳥飼慶陽)



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