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 賀川は晩年65歳の時、体調整わぬ中、1953(昭和28)年1月28日、ブラジル伝道に出発した。日本からのブラジル移民の人々の招きに応えたものであった。途中ニューヨークで国連本部を訪ねるなどして2月5日にブラジル着、5月15日まで滞在した。帰路メキシコを経てロスアンゼルスとハワイで講演を済ませ、6月24日羽田空港に帰国という長旅であった。
 ほぼ時を同じくして、武蔵野農民福音学の校長をしていた横山春一がブラジルから招かれており、サンパウロで賀川と落ち合う機会もあったようである。
そのこともあってか、1950(昭和25)年に「賀川豊彦伝」(新約書房)を書き下ろし、翌年にキリスト新聞社から再版を出した後、横山は、1959(昭和34)年に、索引を付した大幅増補版「賀川豊彦伝」を箱入りで警醒社から出版し、そこにブラジル伝道の記述を残している。



ブラジル伝道の旅先から二つの絵葉書の航空便を「神戸市葺合区吾妻通五丁目六 イエス団 武内勝様」宛に出している。
ひとつは、1953年4月19日に記したものである。
その文面は、

 留守中心配をおかけします。ブラジルはインフレが甚だしく紙幣の価値が半分に下り日本に帰る旅費に心配する位です。六月廿日頃帰ります。七十日間に辛じて四千人しか決心カードが貰えませんでした。二世は日本語がわからず、一世は老人ばかりです。祈って下さい。
アメリカにまた帰り、ハワイ廻りに帰ります。主にあれ
  一九五三・四・十九 
賀川豊彦
ブラジル
  白倉・辻本両氏その他みんなによろしく  



 もう一枚は、「アマゾン河にて」1953年5月23日に出されている。
その文面は、

啓、 ブラジル伝道を了り、アマゾン移民の研究に移り、本日出発して、メキシコに移ります。あしこで約十日伝道し、更に加州に十三日、ハワイ一週間、六月廿三日帰朝予定です。ブラジルでは老人の間に日本人約五千三百人の決心者がありました。みめぐみの中に支えられ困難な伝道をして来ました。六十数日間無休でしたので堪え得たことが不思議です。留守中よろしくお願いたします。辻本、その他の皆様によろしく。
  一九五三・五・二三              賀川豊彦 
アマゾン河にて



 両書簡末尾にある「白倉・辻本両氏」のうち「白倉」については、前回少し触れることができた。「辻本」は「辻本四郎牧師」のことで、戦後1948(昭和23)年から1952(昭和27)年まで神戸イエス団教会の牧師を務め、高齢で引退後も長くイエス団教会にあってよい働きをされた。
 ところで、先日兵庫県三木市の「一粒園保育所」の大岸坦弥・とよのご夫妻が拙宅にお越しになり、青春時代の貴重なお話と共にアルバムもお借りする事ができた。添付の写真はその中の一枚で、イエス団の番町「天隣館」で戦後早々に開設された「長田保育所」の卒園写真(昭和23年3月23日)。後列右から4人目が辻本牧師である。その右が斎木ミツル先生、その右が大岸とよの先生、左から3人目は武内勝氏、左端が林幸金牧師である。
 「(私たちの神戸イエス団教会伝道師の2年間<1966年〜1967年>の頃、辻本牧師は90歳を既に越えてなお矍鑠としておられた。1968年から「番町出合いの家」を開設して新しい生活をスタートした時、大切にしておられた内村鑑三の「聖書之研究」誌をドッサリご寄贈頂いた。武内の愛読書が「聖書之研究」であったことは、すでにこのサイトで紹介済みである。(2009年10月23日記す。鳥飼慶陽)






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