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 長田伝道に白倉正雄牧師招聘
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  「救霊団」時代から路傍伝道などで「長田番町」にまでも足を運んでいた。そして地元の協力者を得て、1919(大正8)年には「イエス団友愛救済所長田出張所」を開設し、馬島|や芝八重などが医師として献身する。その後新たな拠点として別に「天隣館」を設け、斎木進之助・ミツル夫妻などを中心に戦中戦後、保育所や学童保育など、地道な働きを継続してきたことなどは、これまでの賀川書簡を通して紹介してきた。
 今回の1952(昭和27)年4月2日、東京上北澤から投函された「神戸市東灘区御影町郡家七ノ一 武内勝様」宛の賀川書簡は、「長田伝道」に献身する白倉正雄牧師の招聘に関るものである。
 添付の写真は、「昭和32年、イエス団の理事達と長田のセツルメントの人達」とコメントのある「賀川豊彦写真集」所収のもの。全列中央に賀川と武内、その後ろ中央が白倉正雄牧師。



 賀川豊彦用箋に2枚である。本文は、

  武田勝様
冠省 私の希望として、どうしても長田の伝道を強化したいので、今度、
白倉牧師(神戸神学校卒業、現今福音神学校教授)を連れて西下します。で、よく同氏と面会して話合って下さい。教団へ再加入するので、試験をも一度受けねばなりませぬ。 問題は家の問題です。イエス団の二階は明いてゐませぬか?
  子供さんは三人(高等学校、中学三年、尋常六年)奥様はオルガンも上手、保母も出来るし(まだ免状取ってゐませぬ)ミシンも上手です。裁縫の先生も出来ます。
 私の希望では、日曜朝は、西宮北口の牧会もして貰ふと善いと思ふのです。あまりあしこを捨ておくと惜しいと思ふのです。私から吉田牧師に相談してみます。
 主にあれ 一九五二・四・二
                賀川豊彦



 1959(昭和34)年1月6日、賀川が病を押して、最後の四国伝道を試みた時に同行したのが、「長田伝道所牧師」であった白倉牧師であったことは良く知られている。翌年4月23日、賀川はその波乱の生涯を終えるのである。
賀川の亡くなる一月前、神戸市は番町に「長田厚生館」を開設して改善運動の拠点をつくり、白倉を嘱託館長に招く。深刻化していた当時の麻薬問題解決に立ち上がった「麻薬撲滅対策協議会」(番町と新川に結成された)の活動にも参画し、地域運動の本格化する前のいわば草創期に努力した先達のひとりである。
番町には当時、イエス団の「神視保育園」が1958(昭和33)年に、「天隣乳児保育園」が1960(昭和35)年に開設して現在に至る。(2009年10月22日記す。鳥飼慶陽)



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