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 中井一夫神戸市長、賀川に「神戸市顧問」要請
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 昭和20年の敗戦の直前7月27日、神戸市議会の全員一致で中井一夫が市長に推薦され、8月11日内務大臣から神戸市長に任命された。
 一方賀川は、敗戦後すぐ9月24日、厚生省顧問を引き受けている。
 今回取り出す賀川の10月10日付けの武内宛書簡には、「新市長中井一夫に神戸市顧問を要求せられ」たことが、記されている。
 中井市長は賀川の紹介で、昭和20年11月7日マッカーサー司令官を訪問して食糧危機を訴えるなどする。中井は賀川より1歳年下になるが、衆議院議員や神戸弁護士会長などを務めた。中井と賀川の関係は途絶えることなく、賀川没後の記念館の建設や賀川全集の普及にも協力し、賀川生誕百年の記念式典にも高齢を押して矍鑠とした勇士を見せた。その翌年(1989年)には「神戸市名誉市民」の称号を受け、満百歳を記念し、須磨離宮公園に「中井一夫先生百寿像」と「平和」の文字を刻む大きな記念碑が建てられている。
なお、「人物書誌大系」37の「年表」によれば、「1945年10月1日、原口統次郎市長の要請により、神戸市顧問となる」とあるが、賀川の記すとおり「中井一夫市長」の誤りである。



 この書簡は、本文と封書に「十月十日」とだけあり、封筒の消印は消えているが、内容からして敗戦後直ぐの昭和20年10月10日と見てよい。
 差出元は、「東京都神田区錦町1丁目6番地 日本基督教団事務局」で、印刷封筒に賀川豊彦の署名がある。中身1枚の速達便である。
宛先は、「兵庫県西宮市北口高木町南芝 一麦保育園 武内勝様 侍史」
本文は、


 前略
 御手紙拝見いたしました。新川の建築何卒よろしく「十五坪」位のもの至急願上ます。
また誠行さんの豊島行はもし御希望なら空室を用い、荒地開墾利用下され結構であります。然し何分にも不便につきその点良く御諒承下さるやう御伝へ下さい。

私は此度「神戸市顧問」になってくれと新市長中井一夫氏に要求せられ、本月末に四五日参上いたします。その際、色々詳しく申上ます。吉田源治郎氏にもよろしく御伝へ下さい。何分にも寒気に向ひつつも家なく食なき人々多き為め、日夜努力しつつも、結果が報ひられずに居ります。
ただ伝道だけは少し目鼻がつきさうです。
 十月十日 
主にありて
 賀川豊彦
    武田勝兄



 賀川豊彦はその最晩年、昭和31年10月1日、神戸市教育委員にも就任し、特に神戸市の「愛護教育」(一般に当時「同和教育」と呼んでいたが、和歌山県では「責善教育」、岡山県では「民主教育」などと名称は多様であった)に強い関心と具体的な関りを持った。 (2009年10月12日記す。鳥飼慶陽)




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