記念事業概要 スケジュール ニュースレター 神戸プロジェクト 実行委員会 新聞切り抜き 寄付のお願い
賀川豊彦とは 賀川の仲間たち 賀川の時代史 賀川の著作 関連ブログ 問い合わせ
懸賞論文
 お宝発見「武内勝日記A」(4) 昭和3年8月〜昭和4年6月
お宝発見

賀川先生の献身の証し
貧民窟主題の小説書きたい
一粒の麦は生きている


  「Think Kagawa!」
  「賀川豊彦って誰?」
  「賀川資料館の雑芸員日誌」

 武内の日記に「黒田四郎牧師」が登場してくる。昭和3年6月に書き起こされた黒田の「神の国運動日誌」は良く知られているが、ここには「賀川豊彦写真集」にある「神の国運動」のスナップ写真を入れておく。黒田は左から3人目。


 昭和三年四月〜六月

四月一日 日 晴
礼拝説教 職業と信仰と題して述べた。夜は、神に就いて説いた。
伝道に大いに責任を感ずる。
午後、妻と同伴で、須磨寺と須磨海岸とを散歩した。寺には桜のつぼみが人の注意をひいている。海は穏やかで、広々と実に快感を与える。海岸での遊びは、夏の海よりも春の海が楽しみ易い。

四月二日 月 曇
高本氏(仮名)が三百円の負債が出来て進退窮まっている。辞職でもしなければ解決がつかないから、何んとかして救済して呉れと依頼してきた。
彼も放浪人であって、幾度失敗したか知れない。もう彼が亡くなるままに放任して置けば彼は全く破滅する。妻あり親ある身でありながら、全く始末悪い男である。
特に悪いことは嘘を言うこと、酒と女とである。これが彼を滅ぼすのである。
彼の救済は、三百円の金のみにあらずして、嘘と酒と女から救済しなければならぬ。彼の救いの為に務めよう。組合本部に於いてさえ自決させよと言っているものを。

四月三日 火 晴雨
疲労の結果、眠くって堪らず、朝より半日床に就き、休養に努め、午後も保養に費やした。

四月四日 水 曇
ヨハネ十三章と十七章を読んで祈祷会をはじめ、心ゆくばかり互いに祈りあった。

四月五日 木 晴
高本氏(仮名)の一身上に関する重大なる問題に就いて解決をつけた。之で一人を救済することが出来た。一人の救済の為にも随分の労を要する。

四月六日 金 晴
上ヶ原工営所に於いて、供給人夫六十名が、ストライキを起こして就業しないから、早く解決する様にとの通知を受け、早速上ヶ原に自動車でかけつけうまく解決した。労働者も皆満足して働く事になった。然しその理由は、日給十銭を増額し一人一円五十五銭となったからである。
失業救済事業の残工事を明後日から開始する事になった。
今日の一日も多忙であった。もうすっかり疲れて終った。

四月七日 土 晴
堀井氏の訪問があった。時に友人の心情に接する事は快楽である。我等の地上に於いて経験する最上の楽しみである。
殊に善き友、信仰を同じゅうする友を得る事は、何たる御恵みであろうか。

四月八日 日 晴
今日から失業救済事業の繰り延べ工事に着手した。
使用人員壱百二十三名に休職申し込み者は五百を超過している。
日本の失業者は日に日に増加して行き、その救済名案はなく、憐れむべき状態にある。

四月九日 月 曇
西部に於いてのみでも七百名を数えた。此れ等の多数が全部アブレルので、何たる惨憺であろうか。
彼等は本当に飢えに迫っている。世には富んで喰い余り、贅を尽くせる者もあるものを。

四月十日 火 雨 
宇都宮の一家族が南米ブラジル行の為めに神戸に来た。
兄が南米に往って成功するか何うかは知れないが、日本に居っても兄に適当なる仕事はない。矢張り移民が適当しているのかも知れない。

四月十一日 水 晴
河川埋め立て工事残事業に就業すべく、五百名以上に抽選を行なった。使用数僅かに八十名である。八十名の就職口に対して、五百名以上が集会するのである。
何という不景気であろう。何とかしなければ一大社会騒動が勃発する。
古中実三郎という前科数犯の男が金壱円也を送付して来た。又彼は改心して信仰の道に光明を見ていると喜んでいる。
彼に一円を貸したのは何年かの前であった。彼は言った。私はピス健以上の悪党に活き社会をびっくりさしてやる。それで死ねば本望だと。
そのとき彼に反省を促して金壱円を恵んだのであった。
それが今は、真面目になって居り、信仰の生活にありと告白し、又借金を返すなど、やはり世の中には不思議なことがある。天の父は彼をも捨て給わないのであろう。

四月十二日 木 晴
宇都宮氏が、南米渡航の為め来神し、今日は我が家の客となった。子供五人を同伴での渡米である。容易なことではない。
然し氏は、日本に居るよりブラジルで生活する方が好適であろう。
唯子供の教育のみが案じられる。日本の将来は、南米に延長し移民するのほか、日本の人口問題は解決法がないであろう。
宇都宮の一家と須磨寺と海岸を散歩した。これが此の世の最後の別れであるかも知れない。兄の祝福を祈る。

四月十三日 金 晴
八人の客を迎えて家の内は一杯である。子供を育てる事の大事業を、今更教えられた。

四月十四日 土 晴
救済事業での多忙も忘れられる程になった。
日雇労働者の将来に就いて考えて見よう。唯にパンの途をのみの解決でなく、本当の救済に関する実際問題を。

四月十五日 日 晴
全き救いの題に依り述べた。夜は、杉山元治郎先生の信仰に関する説教があった。
桜観の見物客の多いのにも驚く。須磨も会下山も青谷も人の波である。飲んで騒いで、倒れなきゃ承知せぬ連中も困ったものである。

四月十六日 月 晴
広田のツツジを観た。
実に美しく咲いていた。桜も美しいがツツジも美しい。新芽も美しい。
近くにあるものが美しい。遠くにあるものも又美しい。
はっきり観えるのが美しい。かすみのかかるのも美しい。
野より山を仰いで美しい。野を見おろして美しい。
岸部、杉山両兄が訪問せられた。岸部一家のために祈る。杉山の前途の為に祈る。

四月十七日 火 晴
宇都宮兄の南米渡航から、色々なる日本の人口問題を考えさせられる。
日本はどうせ何処かに移民しなければ、現状維持の保たれない国民である。現在の国状では、職業紹介より以上の問題である。
平和楼で組合の理事会開催され出席した。

四月十八日 水 晴
近江から細田のお母さんが、朝鮮から愛ちゃんが、宇都宮一家族の南米ブラジル移民渡航の為め送別しようと来神した。
地上に於いても又会う日があるかも知れないが、或いは最後であるかも知れない。一家族全部にはそうでなくとも、其の中の誰かには最後とならんとも限らない。兄弟の為に祈る。家は今日から賑やかである。
静かなる祈祷会であった。

四月十九日 木 晴
宇都宮氏を移民客所に訪問した。送別に地球儀を贈った。
収容所に宿泊している同胞を見て二つの感が起きた。一つは、之等の人達が南米の地に第二の日本を創設するかと思えば、敬意を表せざるを得ず、また祝福せざるを得ない。然し又一つには、日本は此の人達を安住せしめるに足りないかと思えば、気の毒でならず情けなくなる。

四月二十日 金 雨
議会解散か否かは日本の大問題の如く、新聞は筆を揃えて大書する。
何うなったとて、別に善政も行なわれないものを、政友勝っても民政勝っても、五十歩百歩ではあるまいか。

四月二十一日 土 晴
伏見町に公用で出張し、午後宇都宮を突堤に見送った。
今日のたぷらす丸には、九百余名の移民を乗せている。
これだけの人達が、百年後には何万人に増加するか知れない。人の増加も恐ろしいものだ。
宇都宮兄も房子姉も子供等も泣いていた。見送りの者も泣かされた。特に房子姉と道世とは泣き通していた。
見送りの人達には、義男兄に敏子ちゃんに牧野御夫婦に本多、中山、高比良、堀井、杉山、佐藤姉、広木、小山氏等であった。
夜、我が家に帰って夕食を共にした。宇都宮の為に涙ながらに祈った。

四月二十二日 日 雨暴風
コリント後書六章に就いて説明した。夜は、馬太伝十一章の説教をした。
中央

四月二十三日 月 曇
大倉喜八郎が逝ったと新聞は伝えている。彼の人相は賀川先生によく似ている。矢張り性格の何処かに共通なる点がある様に思われる。
大倉が実業に生命を打ち込める如く、賀川先生は神の国運動に生命を献げる。方面は異なるも、意気と熱と奮闘振りにはよく似たるものがある。
若し賀川先生が実業家となっていたら、成金になる人であったであろう。然し賀川先生は、大倉と三菱と三井と合わせても、尚成し能はざる大事業を行ないつつある。

四月二十四日 火 曇
日傭労働者を保護し救済する為には、単に労働紹介のみの事業に終わってはならない。
一大計画を立て、政府当局を動かし、救済資金を下付させなくては、冬季に限られたる失業救済事業では徹底しない。
少なくとも神戸市在住の日傭労働者は、残らず救済し得るの方法を講じなくてはならぬ。

四月二十五日 水 曇
クリスチャンに悲観なしとの題で、信仰の立場より、凡ゆる方面に亘り楽観説を述べた。凡ての事、善意に解釈すべしと、自分に恵まれ居る信仰の物語をした。
本当に神と偕に在って、失望も悲観もない、神に依って得たる希望は、此の世の何ものも之を奪い得ない。神の愛に浸っていて足らざるものはない。凡てが感謝である。

四月二十六日 木 曇
細田のお母さんが近江に帰り、愛ちゃんも又お母さんに同行した。あと大阪に一泊するかも知れない。
細田に一家の内に、漸次信仰が喰い入って、皆が福音に近づきつつある。有難い仕合せである。
今日、神戸市職業委員会が市会第三議員室で開催になり出席した。

四月二十七日 金 晴
来客の為め暫らく読書を中止していたが、客は皆去って終った。これからウンと読書することにしよう。読書の楽しみがないと淋しい。何だかもの足りない。

四月二十八日 土 晴
まとまりのつかない仕事ばかりで不愉快である。
然し、面倒臭い仕事を片付けて行く処に、自分の使命がある。自分の使命が果たせ得れば、矢張り愉快である。

四月二十九日 日 晴 天長節
馬太伝五章に依り、幸福に就いて述べた。夜は、使徒行伝三章に依り、救済の徹底と題して述べた。
昼は、神戸市職業紹介所により就職したる者の内、三年以上同一雇い主に雇用された者の表彰式が、神戸商工会議所で開催された。六十六名が選奨状、内十一名は賞品迄貰った。
出席者の中には市長、助役、課長、中央事務局長代理、大阪地方事務局長、知事代理、市会議長、商工会議所会頭代理、其の他で中々盛会であった。紹介所宣伝の為に一番効果があろう。

四月三十日 月 曇
日傭労働問題に関する大阪事務局官内の打合せ会が、事務局に於いて開催になり、神戸より中央職業紹介所長と自分が出席した。
日本の労働問題、其の中失業の部分はどうにも良き解決の方法がない。
健康にも失業にも、保険を付するより以上の途は、現在の所考え得られない。

五月一日 火 雨
今日はメーデーであるが、雨天の為めに之に参加する者が少ないであろう。
日本の労働祭は、最初に於いて余り振るわなかったが、二三回目には可也盛んになったものを、官憲の弾圧と雇い主側の排斥とに依って、漸次下火となった観がある。神戸には特に著しいものがある。
メーデーに参加した職工は解雇するとは、何たる乱暴であろうか。

五月二日 水 晴
淋しい祈祷会であった。然し、心残りなく、遠慮なく祈れる会で嬉しかった。
岸部君が脱会した。続いて渡辺君も来ないであろう。
何処に居ても、信仰を以って神に従っている事なれば、吾等は祝福の他に途は知らない。

五月三日 木 晴
竹本、木次の両名を解雇する事となった。誠にお気の毒なる事である。
何等の失策もないものを、馘首とは余りにひど過ぎる。失業は正に死活の問題である。

五月四日 金 晴
最近は毎日失業問題を考える。之を救済するの名案がない。困ったものである。
名案があっても、之を実行しない今に於いて、対策を講ずるに非ざれば、日本にも革命を観るの惨事が生ずるであろう。
日本を失業から救済する為に、更に考え祈ろう。

五月五日 土 晴
歯科医に往って歯の治療を受けた。
歯も大切にすれば終生役に立つ。放任して置けば二三年にして、歯が歯の使命を全うし得れなくなる。今保護するは自分の義務である。金のあるなしに係わらず治療を受けよう。

五月六日 日 晴
馬太伝五章の幸福に就いて、一週前の日曜礼拝の続きを述べた。
佐藤兄の宅を訪問して、昼と夜と二食を御馳走になった。
夜の集会には、神になし能わざる所なしと題して話した。
今朝の礼拝には、イエス団で奉仕をしたいとて、一人の婦人が出席した。矢張り篤志家があるものである。

五月七日 月 晴
議会は再停会までして、鈴木喜三郎内務大臣一人を犠牲にして、どうにか切り抜けた。政友会は実に卑劣極まるものであった。
田中総理の死際の悪いのにも呆れるが、民政党の気力も抜けている。
無産党も期待する程の事はなかった。今少し馬力があるかと思っていたものを、一番いまいましいのは明政である。野党らしくもあり与党らしくもあり、何れにも反対の様でもあり、実に不鮮明極まるものである。
兎に角、五十五議会は終わった。普選第一回の議会も無意味に過ぎた。
日本が支那出兵して一合戦開始している。日本は日本人の在支那人である故に、其の生命と財産とを保護する為めでると言う。
何故であるにもせよ、貴き生命と財産とを失いつつあるは事実らしい。
世界は依然として平和を知らない。
中井の愛ちゃんが、近江から帰って来た。

五月八日 火 雨
河川工事に働く労働者中百二十名を馘首する事になった。
日慵労働者程、気の毒な生活者はない。自分はかかる人達の為に使命を負う可きであろう。

五月九日 水 曇
最近の集会は少しく減員した。然しそれだけ落ち着いた集会が出来る。
今晩の祈祷会に於いて、佐藤君の祈りが特に耳に残った。貧乏も病気も失敗も、困難も苦痛も一切が之皆最善であると、彼は善き信仰を恵まれている。
イエス団には本当の信者が絶えない。感謝である。
杉山兄が東京より帰っての報告に、本所の教会には、宗教がなくなって主義者の集会と化していて、従来禁酒禁煙の青年が、今では皆飲酒吸煙家となって、キリストを信ずるの信仰は失せていると、何という情けない事であろう。
第三師団に動員令が降下になった。その出兵数一万五千名で、経費一千百万円であると、遂に真の戦争に化しつつある様である。
支那人の日本人に対する国際観念は、日々増して悪化していると新聞は報道している。日支の衝突と日本が出兵したからで、行かなければ事件は起こらなかったのと違うか。
又済南の在留邦人をして、青島にでも避難せしめることも、あながち不可能でもなかったかの如く思惟される。
日支平和のために祈る。

五月十日 木 曇
共済に関して半日研究した。
現在の貧を救う為には、先ず第一に、相愛協力の精神のもとに共済するのでなくてはならぬ。
将来は、共済しない国民は滅亡あるのみであろう。互いに相愛する国のみが栄ゆるのである。
其の点に於いて、我が国民は一大奮発しなければならぬ。
戦争には強いが、内側に於いて助け合いが出来ない様では、不安で仕方がない。

五月十一日 金 雨
纏まった仕事は何も出来なかった。
佐藤兄が今日から東部詰めの勤務となった。
父が大阪より訪問に来て呉れた。妻の健康を気遣ってである。雨天に拘らず御苦労様である。親ならでは出来ない親切である。

五月十二日 土 晴
晴暇を一日貰って、春季清潔法に依る大掃除をした。
掃除は汚い仕事であるが、片付いた後は、何とも言えぬ好い心地がする。矢張り人間は、清潔に住むべき者である。
父は大阪に帰った。愛ちゃんは明朝、朝鮮に向かって出発する予定である。
之で我が家の客も当分の間はなくなる。又静かに読書をするであろう。
日支の衝突も、日本が済南を占領したので、在留邦人二千名の保護が出来ると新聞は報じている。これで多分落ち着くのであろう。之以上には問題は起こるまい。

五月十三日 日 雨後晴
昨日から急激に暑くなった。真夏の様である。
礼拝説教に賀川先生出席せられ、ピリピ書の精神と題して述べられ、有益なる集会であった。
夜は、天の父の如く全たかれと述べたが、思う様に語り得ず、不快で堪らなかった。

五月十四日 月 晴
歯の治療も今日で終わった。金の無い中から尚拾円余りを消費した。
人に完全と奨励して、自らも又完全になるの大責任を強く感ずる。
自分の欠点を補い、少しでも父の御用に役に立つものとならなければ、父に対して相済まない。
米国の徳さんから送金があった。感謝である。

五月十五日 火 晴
大事業を為すの才能なきを思い、国に対しても相済まなく思われて仕方がない。
人生僅かに五十年でお終いなら、自分の如き何事もなすの間もない程、先が近くなっている様に思われる。
唯、最善を尽くして進もう。

五月十六日 水 晴
平川兄の来訪ありたり。
ルカ十章の終わりを説明して、なくて叫ぶまじきものは唯一つであって、我には凡てに於いて、選択と判断との必要を述べた。

五月十七日 木 晴
京津方面は益々危険になりつつありと、従って我が軍隊を更に警備に当らしむ可く、各国も之を希望し、我が政府も其の計画らしい。
茲数日の中には、又又一二ヶ師団を派遣するに至るかも知れない。
大阪砲兵工廠は、旋盤工五百名を募集しているが、応募者僅かに九名には驚いた。技術工には、余り失業者のないものだと言う事がよく解った。

五月十八日 金 晴
将来に於いて、大思想を実現すべく大望心を抱かなくてはならぬ事を、三十七歳にしてしみじみと感ずる。今十年前に、此の事に気がついていたら。

五月十九日 土 晴
今日も無頼漢に五十銭借された。勿論返しては呉れない。困った人間のあることよ。
歴史を読みつつ、地球儀を回して世界を知るは、楽しい事である。此の書を読んで、欧州を初めて知ったのである。

五月二十日 日 晴
朝夕二回説教した。
集会者に変わりはない。三十名位である。自分に取っては年中無休である。
紹介所の休日は日曜日の他はなく、否日曜日にさえ出勤する事もしましばであるのに、タマの休日は二回の説教が仕事になっている。
故に本当に体の休まる日がない。働きと思えば休みが欲しいが、楽しみと思えば、働く事が既に慰安である。

五月二十一日 月 晴
内相は望月逓相が、逓相には久原氏が、それぞれ役割が内定した様である。
田中内閣に大きなひびが入りつつある。野党の倒閣運動を待つ迄もなく、自滅に走りつつある様である。

五月二十二日 火 晴
久し振りで青年会で活動写真を観に往った。妻と杉田君同伴で、写真は天国の人と言うのであった。日本の作としては最も優秀なものであろう。
映画が人を引き付ける筈である。中々甘いものだ。人をして料金まで支払わせて、多くの引き付くるからには、何処かに善いものがある訳である。
自分等の神の国運動に考え合わせて、今更ながら自分の不甲斐なさに情けなくなった。大いに奮発しなければ相済むまい(入場券は組合で頂いたもの)。

五月二十三日 水 晴
ルカ伝十一章を述べて祈祷会に入った。眠気たっぷりの祈り会で不快であった。

五月二十四日 木 晴
世界歴史十六巻を読んだ。自分如き無学者にも、欧州の事情、各国民性等が少し解った。身は神戸に在っても、嘗て観ない欧州迄が目に見える様である。

五月二十五日 金 晴
健康、信用、保険に関する協議会を林田職業紹介所で開催した。かかる保険制度を、一紹介所の力で施行する等実に困難なことである。宜しく国家が其の任に当たる可き性質のものである。

五月二十六日 土 晴(一時小雨)
父の訪問があり一泊した。何だか少しく疲労した。読書が過ぎるのかも知れない。

五月二十七日 日 晴朝雨
ピリピ書2章を講義して礼拝説教に替え、夜はローマ書十章を述べて、いちごを一同が食して散じた。

五月二十八日 月 晴
首相攻撃甚だしい。内閣始まって以来、田中総理程評判の悪い人は嘗てなかったであろう。
日本に善き偉大なる政治家は居ないものであるか。

五月二十九日 火 晴
井上増吉兄が、愈々ニューヨークを六月八日出発して、ロンドンに向かうとの通信があった。
渡米の際には、借金してやっと旅費を調達し得た氏が、渡米後講演に次ぐ講演で、其の謝礼に依って負債を返済して、其の上養父の生活費を送金し、更に欧州を視察して帰朝する程の旅費を整えしめる。
米国は矢張り、金の多く沸いてる国と思われる。然し、彼に多くの援助を与えた最も大きな原因は、賀川豊彦の弟子であり、賀川豊彦先生の有名になった新川部落より生まれ出て、又先生と共に其の事業の同労者であったとの理由で、彼を助けた徳憲義氏の功であろう。
何にしても、賀川豊彦の名は大いなるものである。

五月三十日 水 晴
馬太伝十章の初めを説いて祈祷会を営んだ。
河川工事で又解雇することになった。残るは僅か百二十名である。
苺を一同食って別れた。

五月三十一日 木 晴
早稲田出版の世界全央十七巻を全部通読した。
エンサイクロペディアを読んで、難解の多いのが、自分の無学であると言うことを、一層はっきりと自覚せしめて呉れる。

六月一日 金 雨
支那出兵も一先ず落ち着くらしい。武器を持っての平和の保障は危険であり不安であって信用が出来ない。軍備ある国に住むは爆弾とともに在るが如く、軍備なき処に住むは猛獣とともに居るが如きものであろう。

六月二日 土 曇
黒田四郎牧師が灘教会を去って、賀川先生を応援することになった。
海員組合員側の主張する、最低賃金の制定要求は何うなるものか、実に興味ある問題である。資本家等よ、日本の為にその要求を入れよ。

六月三日 日 曇
コリント後書五章、キリストの愛我等に迫れりとの記事に関して述べた。
夜は、賀川先生の神は愛であるとキリストが教えたと言う小説教があった。
先生の説教としては詰まらなかった。黒田四郎牧師が朝夕二回とも出席した。今後は出来る限り神戸に来て働くとの事であった。

六月四日 月 曇
張作霖氏、奉天入城の際、何者かが鉄道に爆弾の装置をなし、氏の列車を爆破した。幸いにして氏は負傷のみで、生命は助かっているらしい。
支那人のする事は訳が解らないが、張氏も奉天でやられるとは、全く意外であったであろう。

六月五日 火 曇
会員組合員側の要求は、可及的互譲に努めたるも遂に決裂となった。之で各港に停泊中の汽船は、パッタリ止まる事となる。
日本の労働運動も次第に大仕掛けとなる。日本の社会改造も容易でなかろうが、根本的改造案を立てなければ、将来不安に堪えない問題が数多く積もっている。
日本の救いに就いて、終日大きな夢を見ていた。昨日まで田中首相に関する記事に賑わっていた新聞も、今日は張作霖の爆撃と海員組合の問題とに代わっている。
田中の攻撃の要がなくなったからではなくて、首相に関する問題は国民がいやになっているからである。

六月六日 水 曇
神の国の実現に就いての所感を述べた。
海員組合の労働争議、最低賃金制定は多分労働者が勝利となるであろう。普通の場合は、資本家の勝利となっているが、今度ばかりは労働者が勝つ様に思われる。

六月七日  木 曇
張作霖は死亡したりとの噂もあったが、事実は生きているらしくあるが、彼の生死に係わらず在留邦人の保護の為めには、更に日本は出兵するに至るであろう。
海員組合の件では、労働者の結束を疑っていたが、其の反対に資本家側の結束が敗れて、既に組合の要求を入れて解決つけるものがままあらわれている。殊に川崎汽船では、五日に増俸の辞令を出したから面白い。
今日は宇都宮の一行が南米ブラジルに到着したであろう。宇都宮の身上に、若し万一、病死する様な事があったら何うなるかと思えば心配であるが、信仰に依って、父に凡てを委ね奉って心を安んずる。

六月八日 金 晴
田中首相は、宇都宮に開催の政友会支部大会に出席の為め上野駅に出て、岡村新吾と言う青年兇漢に襲われたが、警戒厳重にして巡査が負傷したのみで、首相には何等の危害も加え得なかった。
支那では張作霖の爆破があり、日本では総理に此の珍事があった。
殺害計画を計画するものの非なるは勿論であるが、被害者たらんとした者も大いに要がある様に思われる。

六月九日 土 晴
海員組合の最低賃金制は遂に勝利であった。要求全部を入れられたのではないが、兎に角大部分は入れられたのである。
表面は労使双方の互譲に依り、日本に嘗て見ない労働問題を解決つけたと言われているが、事実は労働者の勝ちであった。斯く解決のついた事は、日本の為に誠に慶賀に堪えない。

六月十日 日 晴
礼拝説教は、黒田牧師が天上の誠実と題する説教があり、夜は堀井と自分が述べ、自分はキリストに依る自由と題して語った。

六月十一日 月 晴
天気予報は、毎日雨模様、若しくは小雨と報じているが、其の実雨は降らないで、青天白日と真夏の如く暑さを増やした。
エンサクロペディアの社会学を読んだ。

六月十二日 火 晴
日本にも救貧法が来議会に提出されることとなるらしい。貧民にとっては結構なことである。
乞食はせずとも喰わして貰える時代が来る。見方に依っては、結構でなくて堕落である。但し新川は大いに助かる。

六月十三日 水 雨
久し振りに大雨が降った。地の表面が洗濯された。
屋根も道路も溝も野も畑も木も草も凡てが美しくなった。皆が大変な満足である様に見える。
祈祷会に出席して、新川の為の有益なる事業のなる為に考え祈った。
長尾兄のお父さんが去る六日永眠された。花料を集めた。寄った金は三円であった。

六月十四日 木 曇小雨
久邇宮殿下が、台湾で不逞鮮人に襲われたが御無事であったとの号外が出た。
田中首相を殺害せんとした狂漢が現れて驚かしたが、またぞろと誰しも意外にあきれているだろう。物騒千万の世である。
赤井氏(仮名)が、酒を呑みつつ、熱を挙げて人を攻撃するやら、自慢するやらで、午前一時迄眠らせなかった。非常識な男である。

六月十五日 金 曇
愈々梅雨らしい気候になって終った。一ヶ月計りは此の状態が継続するであろう。特に健康に注意すべきである。
田中首相は、自分を殺害せんとした岡村真吉に対して、その家族の貧困なるに同情を寄し、金壱千円也を贈呈したと言う。キリストの言う、汝の敵を愛せよとの教訓の如く、実に善い処を出した。彼の為す事は、万事が味噌であると我も人も噂していたが、此の一点ばかりは大出来である。

六月十六日 土 晴
長船のおばからの便りに、横山加代様の中風の由を通知してあった。
もう八十を超ゆる老人である。自分の家族の者を除けば、彼の人程僕を愛して呉れた者はない。
勿論、幼少の頃ではあるが、人に愛せられた記憶は、実に嬉しいものである。
横山さん程、家族の者の為に犠牲になって、苦労する人は余り沢山はないであろう。然し実に神の如き心を持たなくては出来ない愛の奉仕であった。
神を知らざる神の人である。

六月十七日 日 晴
貧民救済法に就いて述べた。夜は賀川先生の説教で、キリスト者の真実と題してエペソ六章の説明があった。集まれる者は約四十名であった。

六月十八日 月 晴
酒癖の悪い井坂氏(仮名)に対して、東部での居住を断った。彼も酒さえ飲まなければ善い男で、仕事には充分役に立つものを思えば、余計なことを覚えて苦労している。
河田氏と朝鮮人金さんとが職業上の問題から来訪された。

六月十九日 火 曇
徳氏から六十七円七銭の献金があった。之に依って、経済的にどれ程助けられているか知れない。

六月二十日 水 雨
久し振りで頭痛がする。何が原因であるか解らないが、別に熱もなく風邪引きでもないようだし、二日間通じのなかった為であるか。
静かなる祈祷会であった。

六月二十一日 木 小雨
大工仕事が終日の労働であった。
折角の休日をウンと働いた。然し骨の折り甲斐がある。家が広くなって湯に入るには便利になった。これ程便利になるものを、何故もっと早くから工事しなかったかと、自分でも不思議に思える。
赤ん坊を湯に入れる為の準備であった。水野脩吉師から、井上のお父さんの養料として、金拾円也送付して来た。

六月二十二日 金 晴
赤坂離宮に怪漢が侵入したとの号外が出た。
次から次へと変わり者が現れる。時候の故であるか、思想の故であるか、何れにしても珍しい現象である。
トルストイの我等何を為す可きかを読んで昔に若返り、大いに反省し、考えさせられた。彼は真面目であった。真の人であった。

六月二十三日 土 晴
梅雨がすっかり晴れたかの感があるが、未だ梅雨のあく訳はない。
賞与金が出た。月俸一カ月分、金八十五円也であった。
神戸市の昭和三年度の予算が立ち難く、遂に給料を減じたと聞いていて、少ないのは皆承知しているであろう。

六月二十四日 日 雨
黒田牧師の説教がある。夕は、賀川先生の説教があった。
今日も大工仕事をした。家の内が整理された。
凡ゆるものが整理されなければならぬ。人の心から、家庭に社会に、皆整理されなければならぬ。

六月二十五日 月 晴一時小雨
堀井氏の訪問があって、十時まで色々と思い出話を交わした。
氏は数日中に北条に向かって出発し、夏季休暇の間、農村伝道を試むる事になった。彼は真面目な青年であるが、矢張り若いだけに迷っている。

六月二十六日 火 雨
今年の梅雨は、雨量が余り多過ぎる様に思われる。
くちなしの花が白く美しく咲いて、特に高い善い香りを放っている。
草の花も沢山咲いた。トマトも五つ六つ果になりかけた。
ダリヤが延びすぎでもう六尺を超えた。何処のダリヤでも、六尺もある丈の高いものを見た事がない。花になるか何うか解らないが、松の樹と競争で丈比べをやるつもりらしい。
スミレやイチゴは、下の方で小さくなって、如何にも失意のどん底にあるが如くであった。

六月二十七日 水 雨
世と人類の救いの為に、繰り返し繰り返し祈る。世の堕落が繰り返す限り、人の罪が絶えぬ限り、我が祈りは止まないと所感を述べた。
広木氏の父上が永眠された。

六月二十八日 木 雨
西部の労働紹介所の新築案に就いて、社会課へ打合せに往った。或いは好都合に運ぶかも知れない。
広木氏の葬式に往った。

六月二十九日 金 雨
世界思想全集のトルストイを読んで、大いに確信を与えられた。彼は矢張り偉人である。彼程真摯になりたいものである。

六月三十日 土 雨曇
少し頭痛する。どうした訳か知れなかったが、静かに眠れば、薬一服も無用である。三十分計り眠ってよくなった。眠りは唯一の医者である。
丁度半年経過した。大きな間違いもなく神の御恵みの内に護られた六ヶ月を感謝す。
去年程は読書も進まなかったが、読書の為に最大努力をしたことだけは相違がない。
天の父の子として、もっと役に立ちたい計りに、一生懸命になって本ばかり読むが、これがどうぞ間違いのないように、目的に叶うことの出来るように。



 句読点も段落もない原文に、いくらか読みやすくするために、当方でこうして整えているが、そうすることで、武内の思いもよく伝わりように思われる。この調子で進めてみたい。(2009年9月9日記す、鳥飼慶陽)



賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会
東京プロジェクト 事務局  〒156-0057 東京都世田谷区上北沢3-8-19 賀川豊彦記念 松沢資料館内
神戸プロジェクト 事務局  〒651-0022 神戸市中央区元町通5-1-6 神戸共栄火災ビル7F