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米国の旅 HOPI INDIANS |
「Think Kagawa!」 「賀川豊彦って誰?」 「賀川資料館の雑芸員日誌」 |
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広く知られているように、1940(昭和15)年8月25日(日)松沢教会における説教「エレミヤ哀歌に学ぶ」を終えた後、賀川豊彦は渋谷憲兵隊に拘束され、9月には巣鴨拘置所に留置された。 松岡洋介らの尽力で賀川は、9月13日釈放され、神戸から「ブジシャクホウサレマシタ ココロヨリ ゴコウイカンシャモウシアゲマス コンヤタツヨロシク カガワトヨヒコ」と打電している。 10月、賀川の個人雑誌「雲の柱」は発行停止処分、直ちに廃刊となり、豊彦は香川県豊島に隠遁して著述活動に専念する、という事態を迎えた。 しかし豊彦は翌年(昭和16年)4月5日、「キリスト教平和使節団」の一員として渡米、アトランテック、シカゴ、ニューヨークなどでの会議に出席、アメリカ各地を113日間、一日平均3回の日米親善講演会を開催して、8月17日に帰国するのである(詳細な経過は「人物書誌大系:賀川豊彦U」630頁〜637頁参照)。 なお、この「キリスト教平和使節団」の働きについては、横山春一著「賀川豊彦伝」(警醒社版)の「平和の灯を消すな」(396頁〜404頁)の項でも、賀川自ら書き残したこの時の「アメリカ遍路記」を引用しながら、太平洋戦争開始直前の差し迫った状況が記されている。 今回の絵葉書は、その「平和使節団」のときのものである。 差出は消印から見て、1941年(昭和16年)5月7日、SANT LOUIS 宛先は兵庫県西宮北口高木 武内勝様 文面は
カラーの絵葉書は、アメリカ大陸最古のインディアンとして知られる「HOPI INDIANS」。「HOPI」は「平和の民」の意でマヤ文明の末裔とされる。 賀川がここを訪ねたかどうか、またアメリカ先住民族についてどう見ていたのかなどは、未確認である。 豊彦はこの旅の途上で53歳の誕生日を迎え、次の詩を残した。 五十三年の誕生日 ユタの砂漠に 五十三年の誕生日を迎えぬ 汽車の旅 今日もまた 彷徨の 野人に 恩寵のみ 數へられて 尊し 一九四一、七、一〇 汽車中にて ユニオンパシフィック * * * * この詩は、日独書院から昭和18年に刊行された賀川の詩集「天空と国土を縫合せて」に収められている(223頁〜224頁)。詩集の表紙の装丁と「雲柱」の墨絵は署名にもあるように「トヨヒコ」のものである。(2009年8月29日記す。鳥飼慶陽) |
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