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 厚生省顧問賀川豊彦と「神戸失業者共済組合」
お宝発見

賀川先生の献身の証し
貧民窟主題の小説書きたい
一粒の麦は生きている


  「Think Kagawa!」
  「賀川豊彦って誰?」
  「賀川資料館の雑芸員日誌」

 賀川豊彦は戦前1927(昭和2)年、東京市社会局の嘱託に就き、武内勝が神戸において取り組んでいた「失業保険」を東京市においても試みるべく模索して武内に問い合わせていた書簡と神戸の実験の内容を賀川は「友愛の政治経済学Brotherhood Economics」の中に記していたことを先に取り出しておいた。

 ところで賀川は敗戦後すぐ、1945(昭和20)年8月26日には「東久邇宮内閣参与」となり、30日には「読売報知」に「マッカーサー総司令官に寄す」を発表。9月21日には「マッカーサー訪問」、その三日後の24日には「厚生省顧問」に就任し、同省の財団法人国民栄養協会理事長にも就き、27日には「国際平和協会」を設立した。そして翌10月には、神戸市長原口統次郎の要請により「神戸市顧問」にも就いて、戦後の新しい歩みだしをした。

 敗戦の年1945(昭和20)年3月10日の10万人の死者と100万戸もの家屋を焼き尽くした「東京大空襲」のなか、賀川は、「戦時救済委員会委員長」を引き受けてその救護にあたり、4月16日には厚生省より「健民局事務取扱」を委嘱されており、7月12日には「恩賜財団戦災救護会参与」にも就いていて「敗戦」を迎え、改めて「厚生省顧問」として戦後の新しい時代の責任を担うのである。

 以下に、賀川が「厚生省」から神戸の武内勝に投函した第1書簡並びに自宅から出した第2書簡を取り出してみる。ここでは賀川は、武内の試みていた「神戸失業者共済組合」を「厚生省」にあって国の制度として活かそうとするのである。

       *      *      *      *

第1書簡

 差出は 東京都芝区白金台町1−39 厚生省 賀川豊彦
 大日本帝国政府用箋一枚 封書。
 あて先は 兵庫県武庫郡西宮市高木町南芝 一麦寮 武内勝様 消印不明
 
  武内勝様侍史

 前略
 失業者出るやうな時となりました。厚生省でも至急に「神戸失業者共済組合」即ち労働者失業保険規約を厚生省内保険課内賀川豊彦宛に御送付下さい。一昨日、保険局長の名を持って電報を打っておきました。私は忙しく活動して居ります。
 
    八月丗日 賀川豊彦

 二伸 
 新川の土地買い入れの件は如何になりましたか。
 ご一報を煩わしたく存じ上げます。



第2書簡
差出 東京都世田谷区上北沢2丁目603 賀川豊彦
賀川原稿用紙3枚 封書 
あて先 西宮市高木町南芝 一麦保育園 武田勝様 消印不明

  武内勝様侍史

 前略、芝八重子が神戸長田天隣館を再興し、徳憲義氏 教会にて、イエス団診療所分室を作る為め、再び神戸に帰りたき希望を持って居ります。就いては、一麦寮にて、もと佐藤姉が泊まっていたところに泊まれませうか?
 もし可能ならば、神戸イエス団診療所再興の為帰って頂きます。
従って、八重の布団、行李は東京に御送り願わなくても、そのまま止めておき下さるやうに願い上げます。
 「神戸労働保険」文献材料、感謝申し上げます。私は今後厚生省顧問になったので、色々御協力願います。神戸の失業保険を、日本全体の失業保険制度にしたいので、一度「社会保険局」まで御出で下され、何卒局長、初め局課長一同に御教示御指導を願います。西尾君でも結構です。何卒この点も至急に顧慮お願い申し上げます。

 九月十七日
 賀川豊彦


      *      *      *      *
 「玉手箱」に残されていた「武内勝日記」は、先に一部紹介した「昭和2年から4年」までのもの以外は戦後のものである。それも殆どが「日記」というよりは、メモ帳である。
 
 ここには、昭和20年(1945年)の武内メモで、上記賀川の第1書簡の「二伸」並びに第2書簡の前半に係わる事項に対応すると思われる記述がある。
土地買収ノ交渉 本多氏に委任スルコト
長田ノ土地家屋ノ買収見込アリヤ否ヤ
長田ノ診療ヲ継続スルヤ否ヤ
長田ノ保育ヲ開始スルヤ否ヤ 
愛隣館ノミシン加工場実現如何 (68頁)
以下の武内メモは、敗戦時の神戸を中心とした状況が記されている。
第六軍 京都 25日和歌山ヨリ上陸 15000人 歩兵7000人 砲2500人 其他5500人
神戸海軍部隊約1000人 神戸、宝塚、姫路三箇所駐屯 神戸ニ其他5500
宝塚歩兵3500 西宮鐘淵工場 甲子園ホテル
姫路砲兵2500人 歩兵3500 6000
汽車16列車 トラック2000車両。
25日午後1時〜7時5分
労政設置状況 新規雇入1件 労働紹介1件 進駐軍1件 労働組合状況 (1頁)

労政係8名 労働行政把握 労働争議 賃金統? 工場? 工場給食 産業報国
労報
労政係70名配置 朝鮮、台湾、中華等ハ内地人同様ノ取扱トスルコト。 軍人ノ取扱ハ一般人ト同様トスルコト。(2頁)

(6頁以下)
 敗戦ノ結果経済危機陥イル。道義ノ頽廃。不良少年少女ノ激増。養生?工ノ傾向。 
 復興闇市場。勇敢ナルガパンパン。生産方面ハ工員ノ募集ヲヤッテモ尚不足デアルガ闇市場ハ如何。或人は宿命的。日本ノ滅亡ノ宿命的デアルト言フ。経済的ニ破産。賠償金。 
 食糧飢饉。眼前ニ危機ハセマッテイル。今度コソ日本ノ試練デアル。如何ニシテ此ノ危機ヲ切抜ケルカ。如何ニシテ道義ヲ高メルカ。如何ニシテ食糧、衣料等ノ不自由ニ耐忍ブベキカ。之ニ付イテ最モ大セツナルハ先ズ国民ガ希望ヲ捨テナイコトデアル。 最近支那ヨリ帰ツタ人ノ話シ。インフレ、道義、物ノ量、日本トハ比較ニナラヌト言フ。明治、日清戦争ト比較スレバ人口ハ多イ生産力ハ高イ学校数モ多イ、農業モ進歩シテイル、交通ノ便モヨイ。必ズ復興出来ル。?体、協力、相談、ココニ希望ガ生ジ事業ガ起リ目的ヲ貫徹スルコトガ出来ル。個人ノ場合貧困ニヨリ人生ノドン底ニ落チテ終ヘバソコカラ起チ上ル。
 消費組合 不良ノ防止 道義方面 精?を造る場合 善政 人物を出す。酒を造っても人物が出なくては駄目である。

 安定法。労働者・産業人に対する奉仕。事業主に対する産業奉仕。
 安定所の存在意義。従来の欠点非難、求人を待つ態度、安定所より積極的に求人を受けて行く。安定所の付近の事業主すら安定所を利用しないものがあった。付近の人の雇入れ全部安定所に申込みを受ける事が理想である。此の理想の実現は事務所に止っていては成功しない。産業奉仕が出来ない。求人開拓に努力し、所から出掛けること産業奉仕である。所は企画を立てる必要がある。求人者に対し労働者の状況を示す準備をして置く。
 本省の指令に基づき之をたてる。実行方法、第一は大口求人を開拓すること。求人開拓の方法を計画して置く。外交員の如く活動する。安定所の重要性を認識する。失業者を就職せしめる。求人なくば政府の計画も無である。産業家との緻密な関係。安定所長は半分を之に当てる。求人・求職の会合には出来る限り出席するよう希望する。 外交の際に情報を得る。工場の運営。労働問題。将来に対する傾向。所長が事務所に閉じこもるは反対である。所長は産業サービスに半日を奉仕せよ。

 外交係を置くこと。係りは外交日誌を作り日々の外交状況を記入すること。所長は日を定めて工場事業場を訪問すること。同時に就職困難な求職者の就職斡旋に努めること。之には履歴書綴りを持参すること。 
 産業奉仕の活動の範囲。厚生関係、労働観察。

(57頁以下)
 神戸勤労署ハ調査ニ当ル 簡易公共事業、知識階級救済 1民需産業 2公共事業 3職業補導 4生活保護 
 勤労署内ニ民生委員駐在 勤労署ハ生活ノ全面保護ニ当ル。緊要労務 進駐軍、1日22万人 センイ労ム成績不良
 失業者数 400万+300(潜在)=700万 年末ニ於テハ500万人 県下20万
 失業調整ニ依リ有業者無業者、失業者
 失業救済 民需産業復興ニヨリ職業ノ安定。日雇労務者ヲ常用化スルコト。

(62頁)
 屑鉄回収。公共事業就労手帳交付。場所ノ選定ハ市役所デ行フ。開墾ハ勤労課ガ責任ヲ負フ・・農具ハ農務課ニテ準備中。 
 失業対策事業部。公有地 民有地 整理請負 監督者100人。11月ヨリ給食ス。


 「玉手箱」の中に武内勝の責任を担った「神戸市立中央職業紹介所」の絵葉書が2枚残されていたので、ここに収めておく。(2009年7月9日記す。鳥飼慶陽)



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