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 「第一玉手箱」神戸関係絵葉書
 「玉手箱」に残されていた馬島医師の武内勝に宛てて出された2通の絵葉書のうち、前回はシカゴ大学留学先からのものを取り出してみた。ここではもう一枚、1922年(大正11年)9月30日の消印のある「ベルリンのブランデンブルグ門」からの絵葉書を紹介する。あて先は「神戸市(市役所)相生橋下、中央職業紹介所 竹内勝様」(「武内」の間違い)。本文は、

ドイツは何処までも戦争的に、と申して特にベルリンの市街を通りますと、到る処、王像と剣と馬との恐ろしい姿を見ます。日本人には立派に見える事ですが。但 不思議な事は独での失業者の少い事でありませう。此から暫く此処で勉強をさして頂きます。皆様の御健全を祈り。  |生
 ところで、下記の「毎日新聞・兵庫県付録」(大正10年7月21日)の記事は、神戸長田の番町に家族と共に居住してイエス団友愛救済所の医療活動に打ち込んでいた馬場ドクトルが、7月20日神戸港から米国シカゴ大学へ留学に旅立ったときのものである。
 この記事には、大きな写真が収められている。その写真の説明には、「馬島氏の家庭 向かって右より博子夫人と長男ポーロー君、馬島氏令妹久子、馬島ドクトル、長女洋子」とある。

「地の塩なり 身を捧ぐる馬島ドクトル」という見出しで、馬島医師が賀川と出会うまでの経緯と彼の意欲的な志、そして献身的な仕事ぶりと番町の人々との親密な関係などが、ここに詳しく刻まれている。
 賀川の記した大正12年(1923年)2月の「身辺雑記」には、「馬島ドクトルが欧州から帰って来られました。又貧民窟の施療事業に従事して下さいますので私達は喜んで居ります。」と馬島医師の帰国のことが報じられている。
 これも試みに句読点をいれ、改行して少し読みやすくしてみた。(2009年6月4日記す。鳥飼慶陽)


地の塩なり
山高く水清き小丸川のほとりに呱々の声を上げ、世界的偉人として知られたる石井十次氏に私淑せる
貧しき人々の為に
身を捧ぐる馬島ドクトル

繚乱と咲き誇る草花も、?門勢家の庭に咲けば、唯一個の秘められたる花にすぎぬ。若し一茎の百合の花も、荒涼たる原野に笑めば、無限の情趣を多くの人々へ与えるものである。*    *    *

神戸新川及兵庫五番町部落の数万の貧民のために、限りなき熱と愛とを捧げ、病みと餓えとに嘆く人々に、唯一の慰安者であり救済者であったドクトル馬島|氏は、二十日神戸出帆のエムプレス・オブ・ジャパン号で、米国シカゴへ医学研究のため留学することになった。
馬島氏は明治二十七年、彼の武者小路氏が現に建設している新しき共産村の付近、小丸川の辺り=宮崎県児湯郡高鍋町に生まれ、幼児から岡山県孤児院の創立者石井十次氏に私淑し薫陶を受け、長じて徳島中学に入学し、徳島の若林病院長若林虎吾博士の玄関番となり、苦学を続け中学卒業後、名古屋医専に入学。苦学力行の末、大正七年同校を卒業すると直ぐ、徳島の若林病院に戻って一般医術の診療に従事していたが、 同郷の先輩賀川豊彦氏が、神戸新川の貧民窟裡に貧民救済のために全力を挙げて奮闘せるに感激し、自ら仁術を施すを以って医師の本懐とする以上、須らく誰一人として顧ない是等無垢の貧民の友となり、命の親とならむと発奮し、折から賀川氏の懇請を心克く容れて来神、
寓居を兵庫五番町の部落内に構え、爾来今日に到るまで、朝は同氏の邸宅なる友愛救済所で、午後は新川部落賀川氏方のイエス団救済所で、毎日数十名の病める貧民達に、無料で基督の愛と熱とを以って診療に従事し、餓えたる者には薬と食とを与え、心の悩める者には道を説き、何等の名聞利達を求めづして、隠れたる地の塩(以下数行欠ける)・・
今日賀川豊彦氏が日本に於ける貧民研究者として第一人の名声あるとせば、その功績の過半は、賀川氏の蔭に隠れて氏の事業を献身的に援助して来た馬島氏の賜である。

一日留学前の馬島氏をその寓居に訪へば、温容迫らざる態度で、いと謙遜に語る。
私の畢生の目的は、貧民窟に衛生思想の普及を計ることである。
私が神戸に来て貧民の診療に従事してから約数千人を治療したが、医薬の資料と衛生の思想とに乏しき人程悲惨な者はない。私の洋行も、期する処世界の貧民窟の衛生状態の視察に外ならぬ。
今回は先ずシカゴに行き、日本基督教青年会館に落ち着き、ドクトル・ヂー・ライラー氏及びミス・ゼー・アダムス氏等の経営になるセツルメント・ウォークの手伝いをなす傍々、彼地の貧民窟内に生活して、親しく貧民の心理及び生活状態等を調査し、帰りには英、独等に立ち寄り、貧民窟を一々視察して来るつもりで、旅程は約二箇年です。
何れ私が神戸に帰った暁には、再び新川及び五番町部落民のために、厭くまで初一念に向かって進むつもりである

と。因に新川及び五番町部落の有志連は、馬島氏の過去の労苦に感謝し、合わせて其行を旺にする目的で、大挙して同氏の乗船を見送った。
又馬島氏の渡米中、友愛診療所及びイエス団診療事業は、医師於生泰造氏が引受くることになったが、同氏も賀川氏の主義に感激して、挺身貧民救済事業に従事することとなったとのことである。





賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会
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