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 武内勝の賀川豊彦宛書簡(賀川留学中、大正4年正月)
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 「第一玉手箱」書簡
 今回は賀川がプリンストン留学中(大正3年8月〜大正6年5月)に武内勝が賀川宛に送った書簡のひとつを紹介したい。
米国留学中、賀川は武内に留守中の「イエス団」の一切を任せた。武内は賀川夫妻の生活したその場所に自ら住み込み、「私の生涯を通じまして、一番愉快な時でありました」と後に述懐する「共産生活の実行」を試みたことは、広く知られている。留学先から賀川は武内宛の書簡を送り届けているが、残念ながら現物はすべて未発見のままである。
 賀川不在中の武内の賀川宛書簡は、僅かに3通のみ残されており、それが東京・松沢資料館に所蔵されている。今回資料館の杉浦秀典氏のご好意で3通の写真を送付いただいたので、ここで大正4年1月2日付けの一通のみをご覧いただこう。
 賀川夫妻とは4歳年下の武内青年の、熱い心意気が伝わる手紙である。原文には句読点はない。判読困難な箇所もあり一部補正している。

(なおこれら3通の書簡は、1995年の阪神淡路大震災のあと、村山盛嗣氏によって適切な解説を付し「友愛幼児園だより」として紹介されたことのあることを、過日の会議(村山氏編「賀川豊彦とそのボランティア」(武内勝口述)再版の打合せ)で教えられた。2009年5月30日記す 鳥飼慶陽)

 大正4年1月2日 武内勝から賀川豊彦への手紙
 先生の事を毎日思て、絶えず祈りて居ります。先生、授業は如何ですか。医学の方はどうですか。神の使命は何処にあるか、考えては祈りて、神よ、我等何をすべきか、と伺て居ります。
 神よ、イエス団の事業を委ね給え、アーメン。先生渡米後、神は何を与えて、貧民の為に事業を起て給うと感じられつつありますか。
 渡米後、尚深く思い慕います。
 イエス団独立後、恵みの内にクリスマスも終え、新年を迎えました。神、我等を祝福し給うと信じて起て居ります。
 クリスマスは、例年と違い、金員故に、多数の貧民を喜ばす事が出来ず、唯八十名計りの子供と四五十名の成人と祝会を開いただけです。但し子供には、有志の尽力により善き物を与えられ、大いに喜びました。独立後は、尚々励まされて、新しき智と力を加えられて、善き働きの出来るを信じます。
 青年も励んで信仰に歩んで居ります。
 先生、私は未だ世に勝つ準備が出来ていないから、凡てを求め得ます。神は得させんとて選びたまいました。
 今年は日曜学校の方法を改良したいと思うて居ります。又、伝道も色々の働きも、イエスに似た事を努めたく、祈りて居ります。去年の働きは、三百日の労働と、三千頁計りの読書と、二百回程の説教と、二百本の手紙と、其の他雑務であった。其の内、自己を忘れて人の為に務めた小事でありました。此の事の為に悲と苦労とは身に及びました。而し是によって、尚深くイエスと神と霊の働きを感知しました。
 今年の働きは何をすべきですか。神の声に従い務めんとす。
 去年、貧しき内に労働と涙と祈りにより、神の手に在りて、今に至りました。多くの涙はありましたが、悲しみの年でなく、感謝の年でした。新しく迎えた当年も、昨年に過る苦労と涙が入ると思いますが、祝福される年と思て居ります。私は今年は何んでも一万頁読書したく思て居ります。伝道の働きもより多く致したいと思います。
 青年等も一層進んで神の子となり、善く勉強し、智と力を求め、聖書の意を知らんとしております。
 而しイエス団にとりて困ることは、青年の職業が無い事す。今春は何か与えられると信じて居りますが、労働者が職業なき事は、生命を失た様なものです。神よ、職業を与えたまえ。
 独立後尚深く、祈る精神と感謝の念が多くなりました。
 先生が常に祈りて下さるを知りて喜ぶ。続けて祈りて下さい。
 イエス団の信徒は皆、先生の為に祈りてをります。
                          武内  勝
      大正四年一月二日
 賀川先生

     (画面の都合で添付のコピーは大正4年1月27日付の書簡です)



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