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 「第一玉手箱」(文書資料B−5)
 1896年(明治28年)、アメリカのバプテスト派宣教師R・T・タムソン夫人が、旧小野浜町(現小野柄通7丁目)の民家を利用して善隣幼稚園を開設して、開拓的な仕事を続けてきたことが知られているが、賀川豊彦が「葺合新川」で新たな生活を開始してすぐ(1910年・明治43年4月)、「善隣幼稚園午後の部」と言われる付属事業が、吾妻通り5丁目に開設している。賀川の筆跡とおもわれる下記の文書は、その付属事業の「沿革」が年次的に簡潔に記された重要な覚書である。イエス団は、下記のような経緯の後にこの事業を引継ぐことになり、1935年(昭和10年)1月「友愛幼児園」として活動を開始し、戦中戦後を経て現在に至っている。

 付記 「武内勝資料」閲読トレトレを「お宝発見」として丁度今回10回目になる。次回からは「賀川豊彦・春子夫妻の武内勝宛書簡」の「お宝」が大量に残されているので、少しずつ取り出してみたい。先に一箇所のみ紹介した「武内勝の日記・手帳」は「お宝の中のお宝」であるが、これの閲読はなお暫らく時を要するので、アルバムの中の貴重な写真とともに最後に回すことになる。私たちにとって「賀川献身100年記念」のこの時に「神戸イエス団の武内勝」を「お宝」を通して追想できるのは、大きな喜びである。 (2009年5月22日記す 鳥飼慶陽)
 私立善隣幼稚園午後の部沿革

 当園は、紀元一千九百十年即ち明治四十三年四月、神戸市吾妻通り五丁目善隣幼稚園の附属事業として、近隣の紊乱家屋より将来有意の民を育てんとの目的を持って、米国バプテスト教会宣教師ミセス・タムソンによって設立せらる。(欄外に鉛筆で「明治四十二年五月 同 九月十四日建築竣工」と記される)
 善隣幼稚園午後の部と称し、幼児の為には保育部を、学齢児童の為には小学部を設けて、昼間近隣の恵まれ無い家庭の子女教育の為に勤む。

 同時に金曜学校を設け、近隣の児童の為に、日曜学校の形式を持って働きをはじむ。
  • 大正八年九月、米国よりウイルキンソン女史派遣せられタムソン夫人を助けらる。
  • 大正十二年四月、吾妻小学校の設立により小学部を廃し、保育部のみを設置して、益々事業の円満発展を期す。
  • 大正十五年、ウイルキンソン女史園長として就任せらる。
  • 昭和五年四月、都市計画により国道の為、幼稚園の土地五十三坪を削除せられ、建築の一部を改築す。
  • 昭和六年三月、タムソン夫人ウイルキンソン園長共に帰米せられ、フート夫人代理園長として就任せらる。
  • 昭和八年四月、新に理事会を設け理事六名選ばれ、重要なる問題はすべて理事会に於て決定せらるる事に決す。
  • 昭和九年三月、突然米国婦人伝道会社より、本園の独立を要求せらる。
  • 昭和九年四月、フート夫人帰米せられ、ビックスビー女史園長として就任せらる。
 同時に午前の部善隣幼稚園は、神戸市葺合区神若通り六丁目八、葺合バプテスト教会に移りたれば、午後の部を廃し独立の幼稚園として事業の発展を期す。
 午後理事会に於て、祈りの中に種々協議せられしも、事業の永久継続困難なりと認め、昭和九年十二月限り、米国バプテスト婦人伝道会社の経営を閉鎖す。
 昭和十年一月より神戸市財団法人イエス団によって、同じ目的のもとに保育事業を継続せらる。
 顧れば、本園は二十五年の昔より今日迄米国バプテスト教会婦人宣教師方が、基督教主義により善隣の名のもとに、近隣の人々の為に喜ばるる働きを続けられ、今や六百名余りの卒業生と現園児八十名を有する事は、此の上なき感謝である。
 二十五年の我が善隣幼稚園史に、神が強き御手を加えられ(数文字判読困難)、今後の御指導をも大胆に信じ、益々本園の上に天父の御祝福を祈ってやまない次第である。



賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会
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