記念事業概要 スケジュール ニュースレター 神戸プロジェクト 実行委員会 新聞切り抜き 寄付のお願い
賀川豊彦とは 賀川の仲間たち 賀川の時代史 賀川の著作 関連ブログ 問い合わせ
懸賞論文

 「貧民窟主題の小説を書きたい」、絵ハガキ見つかる
  アメリカ留学中に豊彦がハル宛に

 2009年4月、PHP出版より、賀川豊彦の代表作である小説「死線を越えて」の復刻版が刊行された。本の帯には「大正時代の大ベストセラーがいま甦る」「2009年は賀川豊彦献身100年の記念すべき年」とある。
 実はこの度、賀川豊彦の一番弟子として知られる武内勝氏のご子息、武内祐一氏から「武内勝所蔵資料」の閲読を許されることになった。武内勝は小説『死線を越えて(中巻)太陽を射る者』で「竹田」の名前で登場する人物である。資料の分類整理を始めたばかりだが、一つ目の「玉手箱」の中に賀川豊彦の120通近い武内勝宛の書簡が収まり、なぜか新婚早々の春子に宛てた一枚の貴重な絵ハガキが保存されていた。

 賀川の留学先からの絵はがきで、宛名は「神戸市脇浜2丁目 芝房吉様方 賀川春子」。差し出し先はKip's Castle,Montclair, N.J.。消印はニューヨーク、1915年(大正4年)6月19日。

 本文は次の通りである。

(書き出し数字分が消えている)に泣き笑ひして居る。此夏はどうせ本は読めぬなら暇があれば貧民窟主題の小説を暇をぬすんで書きたい。時間は一日に一時間! 之がほんとの小説よ。お父様によろしく。一生懸命努力して居ます。

 賀川は1913年(大正2年)結婚。翌1914年8月2日、アメリカへ留学のため日本郵船丹波丸にて神戸出帆。8月17日サンフランシスコ上陸。9月11日プリンストン到着。1915年夏期休暇を利用してニューヨークでアルバイトを探す。モント・クレアにて給仕として40日働いてプリンストンに帰る。1916年5月BDを得る。1917年4月オグデンを去りシアトルから出航。5月4日横浜到着しているから、賀川のこの絵ハガキは、ニューヨークのモント・クレア(Montclair)からの便り。この葉書の「KOBE」の消印には「13.7.15」とある。

 小説「鳩の真似」は、賀川が神戸神学校で学び始め、病気療養で蒲郡で過ごしていたときに仕上げ、島崎藤村に見せたのは明治41年のこと。その後賀川は、明治42年12月24日「葺合新川」での新しい生活をはじめ、前記のように数年後、春子と結婚、その翌年留学してその旅先となったニューヨークで「貧民窟主題の小説を書きたい」という構想が生まれたというのである。この構想が宿ったときからすぐ、既に書き上げていた「鳩の真似」の続きとなる小説「死線を越えて」の完成にむけて「一日に1時間!」「ほんとの小説」を書き始めたかどうかは不確かである。「死線を越えて」を「改造」に連載をはじめるのは大正9年で、最初の22節まで連載され、後半追加して単行本とし大正9年10月1日改造社より世に出たのであるが、大正4年6月の時点で、賀川の中にこの構想が宿ったことは、この手紙で確認できるのである。
(2009年4月12日記す。4月29日補記 鳥飼)
お宝発見

賀川先生の献身の証し
貧民窟主題の小説書きたい
一粒の麦は生きている


  「Think Kagawa!」
  「賀川豊彦って誰?」
  「賀川資料館の雑芸員日誌」






賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会
東京プロジェクト 事務局  〒156-0057 東京都世田谷区上北沢3-8-19 賀川豊彦記念 松沢資料館内
神戸プロジェクト 事務局  〒651-0022 神戸市中央区元町通5-1-6 神戸共栄火災ビル7F